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高松高等裁判所 昭和40年(う)240号 判決 1967年8月08日

被告人 白石春樹

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、証人井川倉吉に支給した分を除き、その余を全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、記録に編綴してある高松高等検察庁検察官井下治幸提出にかかる松山地方検察庁検察官島岡寛三作成名義の控訴趣意書並びに弁護人木村篤太郎、同小林蝶一、同信部高雄、同田坂幹守、同永塚昇、同米田正弌、同泉田一、同石丸友二郎共同作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、いずれもここにこれを引用する。

検察官の控訴趣意第一点について

所論は、本件公訴事実中「被告人が昭和三八年一月二六日施行の愛媛県知事選挙に立候補した久松定武の選挙運動員である井川倉吉に対し、同候補者が同選挙に立候補の暁は同候補者に当選を得しめる目的をもつて、同選挙に立候補の届出前である昭和三七年一二月二〇日頃松山市一番町所在の共済ビル三階愛媛県農業共済組合連合会会長室において、投票取りまとめの選挙運動方を依頼し、その資金及び報酬として金二〇万円を供与した」との事実につき、原判決は、右金員の授与が、投票取りまとめ等の選挙運動を依頼しその報酬等とする趣旨でなされたものと認めるに足りる証拠はなく、証明不十分であるとして無罪を言い渡したが、原審に顕出された証拠によれば右公訴事実は優にこれを認定することができる。従つて原判決は明らかに事実を誤認したものであるというのである。

そこで、検討してみるのに、原審で取調べた証人井川倉吉の供述、同人の検察官に対する各供述調書、被告人の供述、被告人の検察官に対する昭和三八年三月一六日付、同月一七日付、同月二一日付各供述調書、井原岸高の名刺一枚(証一〇号)、手帳一冊(証一二七号)に、当審で取調べた証人井川倉吉及び被告人の各供述を参酌して考察すると、井川倉吉は衆議院議員井原岸高の秘書で、伊予三島市の井原宅の事務所を本拠として伊予三島市及び隣接の川之江市並びに宇摩郡等の井原岸高の地盤涵養のため、同地方における冠婚葬祭等の行事には同人の代理として出席し花輪、盛篭を提供する等の日常社交上の事務を行い、また右井原が自民党県連会長であることから、同県連伊予三島支部の事務を掌るとともに隣接の川之江支部及び宇摩郡内の支部等についてもその世話をなし、右地区で県連主催の演説会等が開催されるときは会場の設営、関係者の送迎等の諸般の事務を担当し、更に県連から送付されて来る党報、宣伝文書、ポスター等の配布及び貼布等の事務も扱つていたこと、そしてこれ等に要した交通費、人件費等の諸経費の支払につき折柄井原代議士が国会開会中のため上京して不在であつた関係もあつて、その未払額が増加してきたので、井川倉吉は県連事務局に右支払資金の供出方を要請していたところ、昭和三七年一二月一〇日頃宇摩郡新宮支部で開かれた決起大会に出席するため被告人が来訪したので、県連幹事長の被告人に右資金の出費を懇請し、被告人がこれを了承して同月二〇日頃本件の金二〇万円を井川に交付したこと、井川は右金員で未払となつていた右諸経費の支払を同月末までに了したことが認められる。

なお、右各証拠によると、井川が井原代議士のため右の冠婚葬祭等の諸行事に同人名義の花輪、盛篭を提供するにつき、本件選挙に立候補を予定していた久松定武が同年一〇月下旬頃自民党の公認を受けてからは右井原の指示により久松定武名義の花輪、盛篭も提供するようになつたこと、また県連より送付を受けて配布した文書で自由民主と題する新聞には久松定武の当選を期する旨の記事等が掲載されていること、そして右久松名義の花輪、盛篭の代金及び右新聞を配布するための人夫賃が右の諸経費のうちに含まれていることが認められるけれども、未だ右花輪、盛篭の提供及び右新聞の配布が事前の選挙運動罪に該当するものとは認め難い。また井川は右金二〇万円のうち金千二百円は県連から送付された党報、宣伝文書及びポスター、立看板等を配布、運送する人夫及び自己の煙草代に、金五千三百円は人夫及び自己の食事代並びに演説会等を開催したときの関係者を送迎する自動車の運転手の食事代として費消しており、更に金千二百円を本件選挙告示後久松候補の選挙用ポスターを貼布するための人夫賃として費消していることが認められるけれども、右各経費はいずれもその殆んどが実費に該当するもので報酬的要素は乏しく、かつ右各金員が所謂投票獲得を目途とする選挙運動の費用として使用されたものであるとは認められない。

右各認定事実により明らかな如く、本件の金二〇万円はその殆んどが井川の主人である井原代議士の選挙地盤涵養のため通常行われている程度の社交上の活動費用並びに県連主催の演説会等に要した諸費用、県連の指示による党報、宣伝文書、ポスターの配布、貼布等の宣伝活動費用の支払に当てられており、井川は井原代議士及び県連のため使用した経費を支弁するためその資金を県連の幹事長である被告人に要求したもので、被告人もその趣旨で本件の金二〇万円を交付したのであつて、その際本件選挙に立候補を予定していた久松定武のため投票取りまとめ等の選挙運動を依頼する資金に当てる趣旨が含まれていたとは認められない。被告人及び井川倉吉の検察官に対する供述調書中には、右の選挙運動資金に当てる趣旨も一部包含されていた旨の供述記載が存するけれども、右は前示認定の各事実に比照して未だ措信し離く、右認定を動かすに足りるものではない。

よつて、右公訴事実につきその証明なきものとして無罪を言い渡した原判決は相当であつて、所論の如く事実を誤認したものとは認められないので、本論旨は採用できない。

弁護人の控訴趣意第四点について

(一)  所論は、原判決は被告人の本件公職選挙法違反の公訴事実を認定する証拠として被告人の検察官に対する各供述調書を採用しているが、右供述調書中の供述記載は任意性を欠き証拠能力のないものである。即ち、検察官は被告人に対し予断と偏見を抱いて取調に臨み、威迫を加え、あるいは誘導、詐言を用いて余儀なく供述させたものである。しかも被告人は取調を受ける当時狭心症の前駆症状があり、絶対安静を要する危険な状態にあつたため、検察官の右の如き態度に対して迎合せざるを得なかつたもので、到底任意の供述が期待できない状況下で取調を受けたものである。従つて原判決が右供述調書を証拠として採用しているのは、その任意性についての判断を誤り採証の法則に違背しているものであるというのである。しかし、原審で取調べた証人毛利一夫の供述、証人白石善之の尋問調書、被告人の供述、被告人の検察官に対する各供述調書を綜合して考察するに、被告人が逮捕勾留されて検察官の取調を受けていた当時、狭心症の前駆症状を呈することがあつたことは明らかであるが、その症状は終始発作に悩まされていたというものではなく、全く平静に復して異常のない状態にあつたこともあり、所論の如く絶対安静を要する重篤な状態にあつたものとは認められないこと、また被告人からの申し出があれば、いつでも医師の診療を受けることができる状態にあり、現に適宜医師の診療を受けていること、従つて被告人が病苦から早期釈放を望むあまり、検察官の取調に対して真意に反してまでも迎合した供述をする程の状態にあつたとは認められないこと、また検察官が被告人の取調に当つて所論の如く予断と偏見を抱き、かつ強制誘導したものとは認められず、右の検察官に対する各供述調書を検討すると、被告人の本件選挙における活動、被告人が本件各金員を成松信慶、宇都宮光明及び島田光重に各供与するに至つた事情、経過及び供与した際の状況並びに右各金員は本件選挙に立候補した久松定武のため投票取りまとめ等の選挙運動をする資金である趣旨を包含していること等についての供述内容に矛盾撞着はなく詳細かつ具体的に述べられていること、被告人は原審公判廷で右供述調書中の供述記載は真意に反するものである旨を主張しているものの、その理由として述べるところが未だ首肯するに足りるものではないことが認められるのであつて、これ等の諸点を考量すると、被告人の検察官に対する右の供述が任意にされたものでない疑があるものとは認められない。

当審において取調べた証人毛利一夫及び被告人の供述に徴するも、未だ右認定を動かすに足りない。

従つて、原判決が被告人の検察官に対する各供述調書を証拠に採用したことが所論の如く採証の法則に違背しているものとは認められない。

(二)  所論は、また原判決は被告人の本件公職選挙法違反の公訴事実を認定する証拠として清家盛義、菅豊一、竹内昭一、小笠原勲、藤田貢、成松信慶、宇都宮光明及び島田光重の検察官に対する各供述調書を採用しているが、右各供述調書中の各供述記載は同人等の原審公判廷における各供述に対比して、所謂特信性に欠けるものであつて証拠能力のないものである。

即ち、検察官は同人等の取調に当つては、予断と偏見をもつて臨み、威迫を加え或は誘導詐言を用いて余儀なく供述させたものである。清家、菅及び宇都宮は折柄県会議員の選挙が迫つており、立候補者として選挙活動をする必要があるため早期の釈放を望む状況下にあつて検察官に迎合する供述をしたものであり、島田、竹内、小笠原及び藤田は検察官の右の如き態度に真実を述べることができず、その意に反して迎合せざるを得なかつたものであり、成松は検察官の取調を受けた当時胃潰瘍等のため病苦に悩み、生命に危険のある状態であるのに検察官は勾留を継続して取調を強行し、真実任意の供述を期待できないような状態において取調がなされたのであつて、右清家、菅、宇都宮、島田、竹内、小笠原、藤田及び成松の検察官に対する各供述調書には到底特信情況の要件が備つているものとは思料されない。しかるに原判決が右各供述調書を証拠として採用したのは、特信性についての判断を誤り採証の法則に違背しているというのである。

しかし、原審で取調べた右清家盛義等の検察官に対する各供述調書、同人等の原審公判廷における各供述並びに証人毛利一夫の供述、証人白石善之の尋問調書及び当審で取調べた証人二宮信三の尋問調書を綜合して考察するに、右清家盛義等の原審公判廷における各供述と同人等の検察官に対する各供述調書中の供述は実質的に相違しているところ、右の原審の公判廷における各供述は、被告人が統括して行つていた所謂党活動が、本件選挙のための選挙運動とは区別されるべき純然たる政治活動であるとしている点が甚だ不明瞭であり、その供述自体前後矛盾して不合理な点も見受けられ、被告人が選挙事務所に陣取つて選挙対策を指示する等選挙運動推進の責任者として采配を振つていた事実はないと供述している点も不明確かつ不自然な点が見出され、また本件各金員が右の党活動資金であつたとする点もその具体性に乏しく、また検察官に対する供述が真意に反するものであると弁疏している点もその理由として述べるところが、未だ首肯するに足りないものであるのに対して、右の検察官に対する各供述調書中の供述記載は、その体裁及び供述の経過、内容に照らし、矛盾撞着のない詳細かつ具体的なものであること、検察官が取調に当つて所論の如く予断、偏見を抱き、かつ強制誘導したものとは認められず、右の供述内容を検討しても、敢えて真意に反して迎合的な供述をしたものであるとは認められないこと、また成松信慶が逮捕勾留されて検察官の取調を受けていた当時胃潰瘍及び口内炎を患つていたことは明らかであるが、同人は従来から胃潰瘍の持病があり医師の診察を受けていたものであるが急に悪化することもなかつたので投薬等の治療を受ける程度で過してきたものであり、右勾留中も胃潰瘍と口内炎のため食事に不便を感じたものの、医師の診療により投薬等の治療を受け、その病状が急激に悪化するようなことはなかつたこと、従つて検察官の取調に対して所論の如く真実任意の供述を期待できない程の状態にあつたものではないことが認められるのであつて、これ等の諸点を考量すると、右清家、菅、竹内、小笠原、藤田、宇都宮、島田及び成松の検察官に対する右の各供述調書中の供述記載は信用に値するものであつて、その特信性に何等欠けるところのないものと言わざるを得ない。

当審において取調べた証人清家盛義、同藤田貢、同坂本若松、同宇都宮光明、同島田光重の各供述、証人毛利一夫、同白石善之の各尋問調書に徴するも未だ右認定を動かすに足りない。従つて、原判決が右の検察官に対する各供述調書を証拠として採用したのは相当であつて、所論の如く採証の法則に違背しているとは認められない。よつて本論旨は採用できない。

弁護人の控訴趣意第五点について

所論は、原判決は被告人が成松信慶、宇都宮光明及び島田光重に授与した原判示の各金員は、本件愛媛県知事選挙の立候補者久松定武に当選を得させる目的で、同候捕者のために投票取りまとめ等の選挙運動を依頼し、その資金及び報酬として供与したものであると認定しているが、右金員は右の如き趣旨で授与されたものではない。それは自民党県連の幹事長である被告人から、県連傘下の東宇和地区の責任者である成松信慶、広見支部長の宇都宮光明及び松前支部長の島田光重に、いずれも自民党県連の組織を整備強化し、党勢の拡張を図るための政治活動の資金として授与されたもので、選挙運動資金の趣旨は全く包含されていない。県連が挙党一致して本件選挙では久松定武を支援することを決定したのは原判示のとおりであるが、しかしそのことから県連が中核体となつて同候補の選挙運動を推進したと速断するのは誤りである。被告人は幹事長として党務を統括する立場にあつたので、県連本部並びに傘下の各支部の組織の整備、強化を党務として統括指揮したのであり、それが本件選挙を控えて自民党公認の久松候補を支援する体制を確立することに役立つたとしても、それは政党としての政治活動によつて反射的、間接的に生じた効果に過ぎない。本件選挙で久松候補の選挙運動を総括主宰したのは選挙事務長を勤めた井原岸高であり、同人の指揮統率のもとに、愛媛県選出の国会議員団、県会議員団、久松定武後援会並びに久松を支援する各種団体が並列的に相互に協力して選挙運動を推進したのである。そして右井原岸高は県連会長ではあつたが、右の如く選挙事務長として選挙運動を総括主宰し、被告人は県連幹事長として県連本部及び各支部の組織の整備、強化及びこれを通じて自民党の地盤の涵養を図る政治活動を指揮統率し、右井原及び被告人の両者の活動は、選挙運動と政治活動の分野にそれぞれ分離されていたのである。従つて選挙事務所の設営、選挙費用の収支等選挙に関する諸般の事務を統括していたのは右井原であり、同人の委任によつて藤田貢が直接に選挙事務所における事務責任者として県下の各連絡事務所への指示、連絡の衝に当つていたのであつて、被告人はこれ等の事項に何等関与していない。被告人は右の如く県連の組織の整備、強化という政治活動に専念していたのであつて右井原と選挙運動について協議したこともなく、もとより原判示の如く同人と各自の分担を決め共同して久松候補の選挙運動を総括主宰したものではない。右の事実は、原審公判延における証人井原岸高、同八木徹雄、同増原恵吉、同今松治郎、同毛利松平、同堀本宣実、同菅太郎、同関谷勝利、同清家盛義、同菅豊一、同藤田貢、同坂本若松、同竹内昭一、同小笠原勲、同成松信慶、同宇都宮光明、同島田光重及び被告人の各供述並びに久松後援会等久松支援の各種団体の活動に関する関係各証人の供述等によつて明らかであつて、原判示にそう清家盛義、菅豊一、藤田貢、竹内昭一、小笠原勲、成松信慶、宇都宮光明、島田光重等の検察官に対する各供述調書及び被告人の検察官に対する各供述調書中の各供述記載は前示各証人及び被告人の原審公判廷における各供述に比照して到底信用に値しないものである。従つて、原判決が被告人は本件選挙において久松候補の選挙運動を右井原岸高と共同して総括主宰したものであり、成松信慶、宇都宮光明及び島田光重に各供与した本件金員は、久松候補のため投票取りまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬及び資金とする趣旨を有していたものであると認定しているのは、証拠の価値判断を誤り事実を誤認したものであるというのである。

そこで考察してみるのに、所論掲記の各証人の供述並びに被告人の供述を検討すると、所論にそう供述部分が存することは指摘のとおりであるが、その供述全体を仔細に考量すると、右供述が直ちに信用し得るものとは断じ難く、また所論が証拠価値を否定している前示清家盛義、菅豊一、藤田貢、竹内昭一、小笠原勲、成松信慶、宇都宮光明、島田光重及び被告人の検察官に対する各供述調書中の供述記載が証拠能力を有し、かつ十分信用するに足りるものであることは、已に判示したとおりである。そして右各供述調書並びに原判決が原判示各事実に関して挙示している各証拠を綜合して考察すると、愛媛県議会においては自民党県連所属の議員が絶対多数を占め、与党として久松知事の県政に協力し、安定した優勢を保持していたところ、県会議員中最古参者で県会議長並びに県連幹事長等の枢要な役職を歴任し議員中筆頭の実力者と目されていた被告人が副知事の戒田敬之と提携して県政を壟断し私物化しているとして、右両名に反感を抱いていた一〇余名の議員が、昭和三五年八月頃自民同志会という分派を結成し、県連主流派の県会自民党と対立するに至り、右同志会議員は右の所謂白石戒田ラインに対する攻撃から更に久松県政乃至久松知事個人に対する非難へと益々対立的立場を拡大し、遂に昭和三七年八月本件知事選挙に立候補を決意していた久松知事の再選を阻止するため、社会党等の革新勢力と結託し久松知事の対立候補として平田陽一郎を擁立し、革新四派との所謂五派連合によつて結成した県政刷新県民の会主催のもとに県下各地で県政批判演説会を開催し、白石、戒田ラインによる県政私物化排撃等久松県政を糾弾して平田支持を訴えるとともに、自民党本部に右平田を推薦もしくは公認候補とすることを要請する等本件選挙を目ざして活溌な前哨戦を展開するに至つたこと、これに対して自民党県連では同年六月本件知事選挙に立候補の意思を表明した久松知事を支持し、同年八月頃県会自民党議員が協議して選挙対策委員会を設け、先ず久松知事を自民党に入党させて公認候補とする対策を立て、自民党本部に公認の要請をなし、右平田陽一郎を支持する同志会との間に公認獲得の激しい競争を続けたが、同年一〇月二二日に至つて漸く久松知事の公認決定を受け、同日松山市の県民館で開催した総決起大会を皮切りとして、五派連合側の県政批判演説会に対抗して県下各地で県政報告演説会を開き、県政の実情を訴えて五派連合側の非難に反論し、久松知事に対する支援を求める活動を続けるとともに、同年一一月三〇日自民党県連臨時大会を開催して反久松、平田支持の同志会所属議員への離党勧告乃至除名を決議して異分子を排除し、県連を久松支持の県会自民党の系列下に一本化して整理し、かつ本件選挙において久松候補の選挙事務長となる前提のもとに衆議院議員井原岸高を県連会長に、県議中実力第一人者である被告人を幹事長にそれぞれ選任し、挙党一致して久松候補を支援する体制を整備強化したこと、そしてその後県連においては松山市一番町村善旅館を借り受けて、同旅館内に選挙事務所を設置し、他方県下各郡市町村地区には各地区支部所属県会議員その他の役職員を本件選挙の責任者とする連絡事務所を設け、県連を中核体とする久松候補の選挙運動体制を確立し、県連所属の国会議員団、県会議員団、久松定武後援会その他久松支援の各種団体の協力のもとに、県連が主体となつて選挙運動を推進したこと、そして右の如く自民党所属の県会議員のうちで久松県政を支持する主流派に反抗するものが同志会を結成して分裂するに至つたことは、同志会所属県議の選挙地盤である各郡市町村において、これに同調するものを生じ、或は自民党の分裂のため、その去就に迷うものもあつて自民党県連傘下の各支部の地盤に破綻を生じ、これを再建整備して強化することが、自民党県連としては本件選挙において久松候補の当選を期するため緊急の必要事であり、県連幹事長の被告人の指揮統率のもとに久松支持への共鳴を党員のみならず広く一般県民にも呼びかけて、これ等同調者を糾合することにより、右の再建強化を図ろうとする活動が推進されたが未だ十分に果し切らないうちに昭和三八年一月一日本件選挙が告示され、右告示後選挙運動期間に入つてからは、益々強力に右の活動が統けられたことが認められる。

およそ、政党がその組織の整備、強化を図る活動は、所謂政治活動として何等違法視されるべきものでないことは所論のとおりである。しかし、被告人が行つた県連傘下の支部の再建、強化というのは、右認定の経緯に照らして明らかな如く本件選挙において久松候補の当選を得るために選挙運動を行うことを通じて達成しようとしたものであつて、そこでは右の政治活動と選挙運動とは表裏一体をなし、その実体はむしろ本件選挙についての選挙運動が主眼であり、かつ主体をなしていたもので、右の組織の再建、強化ということは右選挙運動の反射的な効果として達成されることを期していたものと認めざるを得ない。そして、原判決挙示の関係各証拠を綜合すると、被告人が成松信慶、宇都宮光明及び島田光重に授与した本件各金員が、久松支持の同調者を糾合して、被告人等県会自民党の県議を中心とする系列の組織を整備強化するとともに、久松候補のために投票取りまとめ等の選挙運動を依頼する報酬及び資金として授与されたものであることは、優にこれを肯認することができる。また、原判決挙示の各証拠によれば、原判示認定の如く井原岸高は選挙事務長として対外的には選挙事務所の代表者となり、主として自民党本部その他外部との折衝に当り、また演説会等を開催出席して一般選挙民に宣伝活動すること等を担当し、被告人は主として選挙運動の資金を調達、配分し、選挙事務所において県連傘下の各支部及び同事務所傘下の各連絡事務所との選挙情報に関する連絡、選挙運動対策に関する指示について采配を振ることに、それぞれその分担を定めてこれを実行し、もつて被告人は井原と共同して久松候補の選挙運動を総括主宰したものであることが肯認される。当審における事実取調の結果に徴するも、未だ右認定を動かすに足りるものは存しない。よつて、被告人が成松信慶、宇都宮光明及び島田光重に本件各金員を授与した所為が、公職選挙法所定の供与罪に該当し、また被告人が選挙運動を総括主宰した者であると認定した原判決に所論の如き事実誤認が存するものとは認められないので、本論旨は採用できない。

弁護人の控訴趣意第一点について

所論は、被告人が成松信慶、宇都宮光明及び島田光重に授与した本件各金員は、自民党県運の幹事長である被告人から、その配下の東宇和地区責任者の成松信慶、広見支部長の宇都宮光明、松前支部長の島田光重に対して、即ち県連の機関構成員相互の間で党勢拡張を図るための政治活動資金として授受されたものである。右資金が県連の地盤涵養等の政治活動に使用され、その結果本件選挙において自民党公認候補であつた久松定武に有利な結果をもたらしたとしても、それは選挙運動ではなく政治活動に外ならない。政治活動は政党本来の目的とするものであり、本件金員の授受は右の活動資金に過ぎないものであるのに、原判決がこれを公職選挙法に違反するとして処断しているのは、結社の行動の自由を保障している憲法二一条並びに罪刑法定の原則を規定している憲法三一条に違反するものであるというのである。

しかし、右各金員の授与が、所謂投票取りまとめ等の選挙運動を依頼するため、その報酬及び資金とすることを目途として行われたものであり、右は違法な選挙運動として公職選挙法による規制を受けるべきものであつて、所論の如く合法な政治活動であるとは到底認められないことは前示認定のとおりであるから、本論旨はその前提を欠ぎ、その理由のないことが明らかである。

弁護人の控訴趣意第二点及び第三点の二について

所論は、およそ投票獲得を図るための選挙運動資金と言い得るためには、それが特定の選挙における特定の候補者に関するものであることが必要である。しかるに本件金員は自民党県連の地盤涵養並びに組織の強化を図るための資金であつて、右の地盤涵養組織強化の結果自民党公認の候補に有利な結果が招来されるとしても、それは反射的、間接的な効果に過ぎず、特定の選挙で特定の候補者を支援することを直接の目的としているものではない。そして本件各金員の授与は政党内の機関相互の間で政治活動資金を授受したに過ぎないもので、その後政党外の第三者に右金員が所謂投票獲得のための資金として供与されても、右授受に際してそれを認識していなかつたときは政治活動資金としての授受であることを妨げるものではなく、被告人には右の認識がなかつたのである。また仮りに本件金員が右の選挙運動資金に該当するとしても、右金員は自民党県連の地盤涵養及び組織強化に要する実費の弁償として授与されたものであつて、報酬としての要素を含んでいない。右いずれの点よりするも、本件金員の授与が公職選挙法二二一条一項一号所定の供与罪に該当しないことは明らかである。また、被告人は党勢拡張等の政治活動の中心的存在として活動していたもので、それは幹事長の職責にあつたものとして当然の行為であり、右政治活動の結果本件選挙において自民党公認の久松定武候補に有利な結果を生じたとしても、被告人が右候補者のための選挙運動の総括主宰者であつたと認めるべきではない。しかるに、原判決が被告人の本件金員の授与を供与罪に該当すると認定し、また被告人が右久松候補の選挙運動の総括主宰者であると判定しているのは、明らかに法令の解釈、適用を誤つたものであるというのである。

しかし、本件金員が、本件選挙に立候補した久松定武の当選を得る目的で、投票取りまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬及び資金として供与されたものであること、また被告人が右久松候補の選挙運動を総括主宰していたと認められることは、前示認定のとおりであつて、本論旨は已にその前提を欠ぎ、失当たるを免れない。

弁護人の控訴趣意第三点の一について

所論は公職選挙法二二一条三項の選挙運動を総括主宰した者とは、同法一二九条に定められた選挙運動期間中即ち、立候補届出後にその候補者の選挙運動を総括主宰した者という意味であつて、立候補届出前には同条項にいう総括主宰者たる身分はないものというべきである。しかるに原判決が本件公訴事実中久松定武候補が立候補届出をした昭和三八年一月一日の以前である昭和三七年一二月二〇日頃に被告人が成松信慶に対して金一四万五千円を供与した所為につき右は事前運動としての供与罪に該当するとともに被告人は総括主宰者として右供与罪を犯したものとして公職選挙法二二一条三項二号を適用しているのは、明らかに法令の解釈、適用を誤っているというのである。

しかし、右条項にいう選挙運動を総括主宰した者とは、特定の候補者に当選を得しめる目的をもつて、その選挙運動の中心勢力となり、事実上選挙運動に関する諸般の事務を総括して指揮する者をいい、その事実のある限り、右候補者の立候補届出以前であっても、これに該当すると解するのが相当である。そして前示事実誤認の論旨に対する説示部分に掲記した各証拠によれば、右金員を授与した当時被告人が已に右久松定武のため同人の選挙運動の中核者として総括指揮していたことが認められる。従つて原判決には所論の如き法令適用の誤りはないものというべきであるから、本論旨も採用できない。

検察官の控訴趣意第二点について

所論は、原判決の量刑は軽きに過ぎて不当なものであるというのである。

そこで、原審で取調べた各証拠に当審における事実取調の結果を勘案して検討するに、被告人の本件公職選挙法違反の所為は、その罪質並びに供与した金額及び回数等の態様に照らして選挙の公正を阻害した程度も大きく、かつ被告人は総括主宰者の地位にあつたものであること等を考察すると、被告人の刑責は軽視できないものであるが、また他面被告人が本件所為に至つた経緯など記録に現われた諸般の事情を綜合して考量すると、原判決の量刑は相当であつて、刑政の目的を達するうえに未だ著しく軽きに失した不当なものであるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により検察官並びに被告人及び弁護人の本件各控訴は、いずれもこれを棄却することとし、当審における訴訟費用につき刑訴法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 横江文幹 東民夫 梨岡輝彦)

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